ぶらり歩き

17. 新潟県 鹿瀬を訪ねて                              平成21年8月15日

 昨年から計画していた磐越西線の鹿瀬駅を訪ねる。鹿瀬には小学生の頃、夏休みを利用して一ヶ月ほど親戚の家に滞在したことがあり、約50年ぶりの思い出を訪ねる旅といえる。

 前日14日は気温30度を越える今夏で一番暑い陽射しの中、八高線・用土駅から上信電鉄・山名駅までの鎌倉街道上道を歩き、全身の倦怠感、食欲不良に襲われていささか熱中症状態に陥ったが、何とか新宿駅23時10分発のムーンライトえちごに乗車した。いわゆる夜行列車のため、ウォーキングで疲労困憊した体の疲れを持ち越し、体調不良を心配したが、昨年に続く2度目のムーンライト号乗車ということと、列車の旅に慣れた同行のSさんの適切なアドバイスのお陰で、早朝4時36分に新津駅に下車したときには、思いのほか眠気もなく、体調も回復している。

 まずは腹ごしらえをしようと、ちょうど開店したコンビニで朝食のお弁当を買い求め、店の一角に設けられたテーブルでゆっくりと朝食を楽しむ。昨夜は熱中症にやられたため不振であった食欲も回復している。

 6時前の早朝にもかかわらず、新津駅前(写真1)のロータリー、鉢植え等を清掃するボランティアの姿は清々しく、気持ちがよい。30度を越える猛暑の昨日とは打って変わって、空には秋を思わせるうろこ雲が広がり、駅前の空気は肌寒く感じられるほど冷ややかである。

 新津6時6分発の磐越西線で鹿瀬に向かう。車中には我々と同じように青春18きっぷを利用していると思われる老若男女が思い思いに座席を占めている。馬下駅を過ぎると、列車は進行方向左側を流れる阿賀野川に沿って走る。トンネルを通過するときには、車中をひんやりとした空気が後方に流れ、トンネルを通過するたびに山に近づいて行くのを感じる。三川駅の手前で列車は、今度は満々と水を湛えた阿賀野川を右手にして進む。

 7時14分に待望の鹿瀬駅(写真2)に到着するが、下車するのは当然私とSさんのふたりだけである。駅前に出れば50年前の記憶が呼び起こされると期待していたが、まず改札口の位置が記憶とは反対側にあり、初めての駅に降り立った思いになる。親戚の家は昭和電工の長屋風の木造社宅であったので、たまたま駅前にいた老夫婦にその場所を尋ねるが、すでに社宅は撤去されて野球場に変わっているという。教えてもらった野球場に行ってみるが、当時社宅は段々状の土地に建っていたが、野球場なので当然であるが平坦な土地に改造されていて、50年前の社宅群を思い出すものは何も見つからない。

 しばらく付近を歩き回り、撤退した昭和電工から工場を引き継いだ新潟昭和(株)の鹿瀬工場の守衛所のところに出て、お盆休みの工場をひとりで守っている守衛さんに社宅跡について話を聞く。現在の駅前の道は拡幅されているが、当時はもっと狭い道であったこと、社宅は記憶のとおり段々状の敷地に長屋のような建物が建っていたこと等を教えてもらう。

写真1 新津駅 写真2 鹿瀬駅


 本日のもうひとつの目的であるSLばんえつ物語号の乗車時間には間があるので、阿賀野川に架かる吊り橋を渡り、立派な造りの町役場に向かう。生憎土曜日で閉庁されており、道の反対側にある東屋で休憩しようと、庁舎前の公園から道路を渡ろうとする角に、田舎によく見かける乾物屋風のT商店を見つける。Sさんが梨を買い求めていると、店主のTさんからヒッチハイクかと声をかけられる。50年前に昭和電工の社宅に一ヶ月滞在したことを告げると、社宅の住人はほとんど知っているという。親戚がNさんと言うことを話すと、偶然にもTさんはNさんの長女と同級生ということで急に話が弾む。しかし、縁は異なものというが、一期一会という言葉を思い出す。Tさんが、昭和電工の社宅に生まれた沖田信悦氏の著書「琥珀色の彼方 鹿瀬町とハーモニカ長屋」を貸してくれたので、東屋で読む。本には社宅の写真、社宅の配置図、そして住人の氏名などが掲載されていて、親戚が住んでいた社宅の位置を確認でき、沖田氏が著書の中でハーモニカ長屋と呼ぶの納得でき、今は存在しない私の記憶の中の社宅が鮮明に甦ってくる。

 感激して一読した本を返しに行くと、TさんはSLの到着までには時間があるので、車で鹿瀬を案内してくれるという。お店もあるので恐縮して辞退するが、ほかの見ず知らずの人にも同じようにしているので、遠慮は無用という言葉に押し切られ、好意に甘えることとした。社宅跡幼稚園(当時は優秀でないと入園できなかったという)、鹿瀬小学校昭和電工工場鹿瀬ダム奥阿賀ふるさと館鹿瀬温泉赤崎荘について当時の状況、裏話入りで解説してもらいながら案内してもらい、鹿瀬駅前では、親戚のNさんが住んだ社宅の隣に住んでいたという女性を紹介してもらう。T商店の前を通過してSLの乗車駅である津川駅に向かう。常浪川が阿賀野川に合流するところに建つ狐の嫁入り屋敷では、やはり社宅の住人であった方を紹介してもらう。そして、津川は夏祭りの最中で車の乗り入れ規制をしているが、Tさんは道をよく知っていて、SLの発車時間に程よい余裕をもって、難なく津川駅まで送っていただく。約2時間にわたり、わずかに一ヶ月しか滞在していない私が鹿瀬の住人であったかのように扱ってくれて、記憶の場所に案内してくれた時空案内人の如きTさんには感謝するばかりであるが、思い立って50年の記憶の彼方にあった鹿瀬を訪ねてみて、ほんとうによかったし、鹿瀬が好きになってしまった。

 津川駅で二つ目の目的であるSLばんえつ物語号(写真3)に11時29分乗車する。車内は真紅色のボックス型座席で通路が狭い分、ゆったりとして座り心地がよい。発車する際に、力が伝わる連結部分がガッタンと懐かしい音を立てて、徐々に車両が一体化していくのが実感できる。当時、走りだした列車に飛び乗りする人がいたことを思い出すが、このようにゆったりとした加速であれば危険性は少なく、それも納得できる。トンネルに入る手前で窓を閉めるようにと車内アナウンスが入り、窓は閉められるが、わずかな隙間から染みこんでくる煙の臭いが懐かしい。沿線沿いには走行するSLを撮影しようとするマニアがポイントごとにカメラをセットして待ち構えている。車中で昼食の駅弁を食べ、終点の会津若松駅(写真4)に13時31分に到着する。ホームに降りると、冷たいお絞りが配られ、SLの旅が終わった気分にしてくれる。秋を思わせるように涼しかった新津とは違い、会津若松は真夏の真っ盛りの暑さである。
          

写真3 津川駅 SLばんえつ物語号 写真4 会津若松駅




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